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只今、鯛焼き中“遊民”の夢 ケンズ井上(けんず・いのうえ)さん

奈良町写真

ご自慢の一丁焼の内側。ずしりとした鉄のかたまりだ。

奈良町写真

焼きたての鯛焼き2尾。これを切り離して、完成。かたちと表情が愛らしい。

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格子窓にかかる元気印の「鯛」ディスプレイ。

手間のかかることを子どもたちに見せたい、伝えたい

「人生観変わるから、これ喰ってみて」

4年間独学で研鑽に研鑽を積んだ一丁焼の鯛焼きが袋に入れられて渡された。中をのぞくと、小ぶりの“鯛”がほっかほっかしている。姿形もこれまで見てきたどの鯛焼きよりも元気で活きが良さそうだ。熱々に齧(かじ)りつく。背びれがカリカリと音を立てて香ばしい。餡(あん)は甘みを抑えているが、深みのある小豆(あずき)の味が口いっぱいに広がる。鼻のあたりがツーンしてきた。べつに鯛焼きが辛いというわけじゃない。ちょっと涙腺がゆるみかけたようだった。

「これが、昔ながらの鯛焼きの作り方なんですよ」主人が胸を張った。

一丁焼へのこだわりについて聞いてみた。

「手仕事の復活ということもあるね。こうした手間のかかることを、いまの子どもたちに見せておきたい、伝えておきたいという気持ちもあります」

味の善し悪しに、鯛焼き器がどれだけ影響を与えるのかはわからない。ほとんどの店では、アルミ製の型に流し込んで作られている。さほどの労力やテクニックがなくとも、15、20個の鯛焼きを一気に作ることが可能だ。これに対して、井上さんの鯛焼き道具は、1回に2尾しか焼くことが出来ない。火加減やふたを開けるタイミングなどを聞けば、ひとくさりあるようだ。また、道具そのものも職人の手によって作られた貴重なものだ。実際、一丁焼の型を作ってくれる職人さんは、“キューポラの町”と呼ばれた埼玉県川口の鋳物工場でも現在、数人ほどしかいないという。

「一丁焼」と「絵本」は抜群のコンビ

マシーンから寿司やギョウザや飛び出してくる。なんでもかんでも簡単にスピーディに手に入る時代だ。本物の味は手間ひまかけないと生まれてこない。空腹を満たすのではなく、作ったものを味わうために食べ物はある。それが人間と食べ物の関係ではないだろうか。

取材をしている間、小学生の女の子がひとり店へやってきた。一丁焼は、出来上がりに10分程度かかる。子どもには長い時間だ。でも、棚にならんだ絵本を手にとって女の子はじっと待っていた。「一丁焼」と「絵本」、なにか抜群のコンビネーションのように思えてくる。

「もっともっと研究して、腕をあげていかなくちゃね」そう言って井上さんは汗を拭う。

寝場所となる隣の部屋は、まだてんやわんやの状態だ。どこでどうやって寝るのだろう・・・。疑問と心配が混じり合うが、当の本人の顔には疲れという影がまったくない。晴れわたった表情だ。

只今、鯛焼き中・・・遊民の夢はまだまだ続いていく。


こたろう

[住所] 奈良市小太郎町6
[TEL] 090-3238-0297
[営業時間] 10:00〜18:00(不定休)
一丁焼は1尾100円