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只今、鯛焼き中“遊民”の夢 ケンズ井上(けんず・いのうえ)さん

奈良町写真

小太郎町にある築80年の廃屋を2年間かけて自力で改修し「こたろう」は誕生した。

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ケンズ・井上さん(58歳)。一筋に何かに打ち込んでいる人の顔は輝いている。

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井上さんの著書『東大寺図鑑』(長崎出版)2004年刊。

東京からやってきた面白い人

鯛焼き屋「こたろう」に着いたのは夕暮れ時だった。奈良町でも人通りの少ない町域にあり、ちょっとさびしい感じもする。でも、格子窓のついた、こぢんまりとした町家風情がいい感じだ。柿色に染まった木造りの外観をうがって、入口からもれる灯り、そこに掛かった真っ白な暖簾、<鯛焼き中>と書かれた布札。通りすぎる人は思わず中をのぞきこみたくなるだろう。

「東京から奈良町に移ってきた面白い人がいるので、ぜひ会ってみるといいですよ」
「こたろう」を紹介してくださったのは「さんが俥座」の三井田さんだ。その時、「店を出すのはもうちょっと待ったほうがいいって、みんな反対したんですがねえ・・・」と気になるようなことをぽつりともらした。
「何かあったんですか?」
「いやいや・・・とにかく面白い方なんで、話を聞きに行ってみて下さい」
お互い時間が押していたこともあり、それ以上そのことには触れなかった。

元コピーライター、『東大寺図鑑』なるものを上梓

暖簾をくぐると「こたろう」の主人、ケンズ井上さん(58歳)が、片手に軍手をはめ、頭に手拭いを巻いてあらわれた。小柄だが精悍で若々しい。人と人は会った瞬間から、もう他人ではない関係になるのだろうが、井上さんとは、もう何十年も前からお互い知っている、馴染み感とでもいうようなものを覚えた。もちろん、お会いしたのはこの日初めてだ。

井上さんは、2年前に奈良町に単身移ってきた。それまでは東京でコピーライターとして25年間、フリーで仕事をこなしてきたという。他人と思えなかったのは、組織に属さない同じライター稼業という点にあったのかもしれない。

井上さんは、コピーライターでも“自転車”に特化したエキスパートだった。サイクリング協会や自転車振興会などと長く仕事をしてきたそうだ。その自転車がきっかけで、東大寺管長(第216世)の息子さんの知己を得て、奈良町との縁を深めていく。『東大寺図鑑』(長崎出版)という著書もある。イラストをふんだんに使用した手書き風のガイドブックという作りで、なかなか楽しそうな本だ。4、5年前に刊行されたが、その執筆時には1年ほど奈良に暮らした。その長い滞在のなかで「さんが俥座」の三井田氏とも懇意となり、人的なネットワークも広がっていったようだ。